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倭國高天原出身で古事記を勉強中

2025-10-29

娘巡礼唄 傾城阿波鳴八段目 天光軒満月出演

浪曲河内音頭 娘巡礼唄 傾城阿波鳴八段目 唄・出演 天光軒満月 作・井村幸男 三味線:西崎恵美子 ギター:並木まさみ 太鼓:天光軒 輝夫 唄ばやし:小野忠藤:木下和子 撮影協力  德島県立阿波十郎兵衛屋敷 人形浄瑠璃 協力『城北座』

2025-10-24

美粋連、 奉納阿波おどり、 令和7年10月24日、 天神社、宵宮、

天神社
〒770-0003徳島市市北田宮4丁目2-2 
電話:088-632-7486
地図
天神社の由来
当神社は、菅原道真公を祭神とする。
菅原道真公(菅公)は仁和二年(八八六) 讃岐守に任じられ土地制度と税制の改革により飢えと貧しさに苦しむ農民・民衆を救った。
帰京後その政治手腕を国政に発揮し参議に任じられた菅公は遣唐使の廃止など政治改革の功績で、寛平九年(八九七) 宇多天皇の信をうけ右大臣を兼ね 昌泰二年(八九九) 二月十四日醍醐天皇から、右大臣に任官された。
ところが 藤原時平の陰謀で無実の御難により延喜元年(九〇一) 一月二十五 日太宰権帥に左遷された。
天地の神々はこのことを悲しみ都を出るときより風雨が日々続いたが、菅公は彫刻士に身を紛らし浪速天満港より出航。
須磨・淡路島沿いに旅を続けられ 道中春の嵐に遭遇し阿波国別宮川から雪の浦に漂着されこの地に御聖廟された。
住人たちがさまざまに旅情をお慰め申し上げたので菅公は深く喜悦されて約六ヵ月間滞在された。
その間村人の子どもたちに儒学と筆法を伝授する寺小屋を開いて、御自筆百韻の連歌を当地の宝物として残された。
筑紫へ移られた後に阿波の旅屋旅屋となつかしがられ、菅公御聖廟により周辺は豊かな稔り多い村となり、村人たちは社殿を造り信仰の心厚くこの地を旅屋村と唱えた後に田宮村の地名がうまれたと伝えられている、筑紫で御逝去から四十余年を経て京都の北野に北野天満宮の神殿が建立された。
田宮の寺小屋の後は菅原寺(現薬師寺)として祀られてきた天正十三年(一五八五)蜂須賀家政の入国により、大満大自在天神坊に属し阿波三坊の一つとしての格式をもち蜂須賀家代々の命名寺となった。
寺宝には菅公自作神像と素焼き干支牛座像が保存され、蜂須賀家政もこれを認めて聖観世音菩薩を寄進された。
慶長十三年(一六〇八) 初代藩主蜂須賀至鎮が菅原寺に祀られていた菅公の御神体を天満大自在天神御宝殿として、蜂須賀家紋の瓦葺き社を築殿。
社周辺に自生していた弓材となる矢竹を伐採して幕府に献上した跡地に寛文十一年(一六七一) 本殿再興 文化二年(一八〇六)本殿再興した。
文政七年(一八二四) 申年九月桑井唯造氏が発起人となり日向松千本と百株の梅を境内に植え御愛樹千松山と称し一国一村の氏神と崇めた併せて連歌堂を造立し、百韻の御吟連御祈願所並びに長さ七尺(約二・三m)・重さ百貫目(約三七五㌔)の銅製牛像は田宮の誇りであった。
(しかし残念ながらこの銅製神牛像は第二次世界大戦中の一九四三年ごろの戦時国策で接収され失った)
安政四年(一八五七) 菅原寺は薬師寺と改名され天満大自在天神は天神社として祀られるようになった。
明治二十二年(一八八九) 誕生の加茂村地名の由来は定かでないが、阿波史によると寛平八年(八九六) 菅公が参議の時、阿波国名方郡を名方西・名方束に分けた。
関連から菅公にまつわる京都加茂川加茂を採用したと推考されている。
昭和十六年(一九四一)の紀元二六〇〇年記念改修当時は拝殿・幣殿・響殿・本殿・境内小社・連歌堂・神輿庫・牛銅などもあったが、今回の改築時はその面影はなかった。
境内敷地七六六二㎡が田宮街道拡張被買収面積一五八㎡を差引きして約七五〇四勧請の年月日は不明であるが、学業・諸願成就・天下泰平・疾病平癒・五穀豊穣・交通安全・天変自然の平穏など信仰の火は絶える事なく連綿として受け継がれ、菅公を祭神とする天神社は全国で一万二千余りある中でも「田宮天神社」は京都の北野天満宮・太宰府天満宮に次いで知られていた。
神域南の東西三〇〇mのお旅の道は昭和初期までは秋祭りの神馬の馬場であり境内では農具市子ども相撲大会などを催していたが、
近代往年の光景はない。
平成十三年(二〇〇一)は菅公御聖廟千百年の記念すべき年にあたり、氏子有志の御寄進と田宮街道拡幅工事を機に総工費一億三千余万円で社務所・神殿・拝殿・鳥居移設・外構工事など全面改築を行った。
(平成十五年抜粋記)


娘巡礼唄 傾城阿波鳴八段目 天光軒満月出演

浪曲河内音頭 娘巡礼唄 傾城阿波鳴八段目 唄・出演 天光軒満月 作・井村幸男 三味線:西崎恵美子 ギター:並木まさみ 太鼓:天光軒 輝夫 唄ばやし:小野忠藤:木下和子 撮影協力  德島県立阿波十郎兵衛屋敷 人形浄瑠璃 協力『城北座』