遺跡史跡巡りお祭り大好きのタクシー運転手

自分の写真
倭國高天原出身で古事記を勉強中

2011-10-22

徳島県の木屋平(こやだいら)に伝わる安徳天皇潜幸、平家落人伝説。

 まほろばの地 高天原木屋平

2011年年10月22日 徳島県の木屋平(こやだいら)に伝わる安徳天皇潜幸、平家落人伝説。 壇ノ浦の合戦で三種の神器とともに入水したといわれている安徳天皇と平家一門は、 安徳天皇を奉じて壇ノ浦の前夜に山深い現在の美馬市木屋平森遠に落ち延び、行在所を建て「小屋の内裏」と呼びその後安徳天皇は平國盛等祖谷山平氏に迎えられて、 祖谷へ行幸されたそうで三種の神器もどこかに? のちに木屋平村 森遠に忌部の有力者の一人が入植したのは、小屋平氏が所有した森遠城の近辺。 平安初期に三木山の忌部の長者・三木氏の次男が、5人の者を従えて当地に入り、5人は下名・弓道・森遠・谷口・川上の5ヶ名に住し、三木氏の次男は谷口に居を構えて大浦氏を名乗って開発を行いました。 森遠は緩やかな傾斜地や窪地が広がり、絶好の日照条件と数ヶ所から清水がわき、小谷も流れて入植者なら真っ先に居住する好条件の場所であり、鎌倉時代に小屋平氏はこの地を入手して本拠地として勢力を伸ばし、やがて衰退した大浦氏に代わって大浦名を支配下に置くこととなったのです。 江戸時代の初期に松家氏は本丸の北東に隣接していた北櫓跡へ屋敷を移し、城を廃して跡地を整理。万治2年(1659)12月12日に正八幡宮を建立して、森遠の氏神としました。 八幡宮には同家の祖霊も合祀して霊廟とし、本丸跡約六反歩を森遠在へ解放。現在も境内には空掘・武者走り・古井戸など城内の遺構が完全なままで残っており、堀の内側は森となって広大な境内が広がります。 森遠城は本丸・外櫓・馬場などを含めると約一町五反の広さがあり、「阿波志」には「八幡祠平村森遠名に在り、俗に言う土御門天皇を祀ると地丘陵にあり、祠中偃月刀及び古冑を蔵す、阿部宗任持つ所」と述べています。



0 件のコメント:

阿呆連 ゆめタウン徳島 令和8年8月13日

阿呆連 ゆめタウン徳島