知れば知るほど
美馬市がまほろばの里
倭大國魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)
所在地:〒771-2107 徳島県美馬市美馬町東宮ノ上3
祭神:大国魂命/大己貴命
日本一社 式内小社 阿波國美馬郡
倭大國魂神/大國敷神社二座の論社
境内の由緒板を抜粋
由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある。
[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。
その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、
[大島郷倭大国魂神社]の墨書がある。
『日本書紀』文中
第10代崇神天皇紀6年に
「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」
が、
『延喜式』で[倭大国魂]を冠する神社は他になく、
[倭大国魂]との強い関係性が窺える。
境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、
開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」
で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。
神社北側の吉水には[吉水遺跡]があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。
今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。
『阿波誌』には
延喜式亦小祀と爲す重清村谷口里に在り即ち廢城の東麓なり
神代紀の註に一書に云ふ大國主神又の名は大物主神、
又は國作大己貴命と號す又は葦原醜男と曰ふ
又は八千戈神と曰ふ又は大國玉神と曰ふ又は顯國玉神と曰ふ、
其祠舊大祭料十ビン、城主小笠原氏割く所、兵燹に罹り小祀と爲る